4/5-4/11の坐禅
坐禅日記。
開始のきっかけ等→坐禅を開始 - のあろぐ
4/5(日)
朝、坐禅30分。
呼吸、浅い。数息観すらできないほど。
姿勢、丸くなるがとりあえず呼吸より姿勢優先で。
意識、こんな状態なので全くダメダメ。
睡眠時間は十分だったが、心身ともに調和しないとなかなか難しい。
ただ、あまりできないことを気にせず、ああ自分は今できてないんだな―ということをただ認識する、ぐらいがいいらしいので、気にしない。
4/6(月)
4/7(火)
4/8(水)
4/9(木)
4/11(土)
坐禅 3/29-4/4
昨日から始めた坐禅については一週間単位でこちらで更新。
開始のきっかけ等→坐禅を開始 - のあろぐ
3/29(日)
3/30(月)
3/31(火)
4/1(水)
4/2(木)
4/3(金)
4/4(土)
お寺で坐禅
3/21から開始している坐禅。お寺に行き、実際に教えてもらう。
開始のきっかけ等→坐禅を開始 - のあろぐ
はじめ、集合してから坐禅のお堂への入り方、座り方などを丁寧に教えてもらう。数息観などの重要技術は、だいたい1人でやったときと変わらず。手の置き方などは若干違うが、呼吸は同じ。丹田あたりに意識を込めることを重視。
年配の人以外にも、若い人、女性も多いのが印象的。
休憩を挟み、20分の坐禅を2回。お寺でやったからか、かなり集中できる。家だと、かなり雑念に囚われてしまうが、うまい具合にリラックスして坐禅を組むことができたのであの感覚を大事にしたい。
住職に言われ観に行ったお寺の中にあるしだれ桜が綺麗。
うまく撮れてないですけど、もうそんな季節なんだなあと。
月2回ほど開催しているようなので、支障ない範囲で通って行きたいですね。
坐禅 3/22-3/27
3/22(日)
3/23(月)
3/24(火)
3/25(水)
3/26(木)
3/27(金)
坐禅を開始
3/21、坐禅を開始。
なぜ坐禅なのか
私にとっての坐禅。3/14に以下の本を読み、様々な状況があり感銘を受けた。
この本の紹介はいずれまたしようとは思うが、この本に出会ったのが何だったか忘れてしまった。ちょうど、ケリー・マクゴニガルのこの本を購入したのと同時期なので、何かそれ関連でのことで、Amazonのおすすめリンクでも見たのだろうか?
結局この本を見て色々腑に落ちたところがあり、仏教的な概念や座禅はまさに自分にとって必要じゃないか?と思い、興味を持つ。
で、手にとったのが以下の二冊。
宗派はそれぞれあれど、共通するのは「呼吸」のようだ。これはヨーガだとかにも言えること。呼吸をただ数えることにまずは集中する。このへんについては今の所感であり、また少し進んでいけば違ってくるかもしれない。
なぜわざわざ坐禅を組むことをメモに残すのか
- 自分のため:自分がどのような心境で坐禅に入っていったのか、一応記録として残しておくことで自分を律し、ちゃんと坐禅を続けていきたいから。
- 仲間のため:「のあPはなんかあやしい道に入っていってしまったのではないか」「そんなヒマがあったらもぐらゲームスのレビューを書け」などという心配の解消。ちゃんと心身の健康アピールもしないといけないし、むしろきちんともぐらゲームスのことをやっていくための坐禅として捉えて頂けると幸い。
- その他のため:もしかすると、自分が坐禅を組んでいること、その結果をしっかり伝えていくことで、誰かに良い影響を及ぼすかもしれない。この記録や自分の坐禅が続くかどうかわからないが、この1回のブログでも少しはなにか影響を与えることができるし、影響を与えてしまう。良い影響があるかどうかもわからないのだが、数千年続いている所作には何らかの理由があるのだろう。
実際に坐禅を組んだ結果
まず、各寺院で定期的に「坐禅会」というのが行われているので、情報を自分で探して行くのがもっとも手っ取り早い方法だそうだ。自分は下記のサイトで探し、今度の月末に行く予定。これ以外も探せばあると思う。
最初に自己流で組むのはあまりよろしくないのでは、と思いつつも、思い立ったが吉日ということもあるし、少しだけやってみることに。
結果としては、知識として知っているのと、実際にやってみるのとでは大きく違いがあるということ。
といっても別に失望したわけではない。
- 30分程度から始めてみようと思ったものの、結果的には25分しか持たず。
- 理由1:まず、身体。「足がすごいことになる」。「結跏趺坐」は無理。「半跏趺坐」ですら、きつい。これは厳然たる事実。なんというか精神統一以前の問題のような気もするかもしれないが、一方でたぶんこれも含めての坐禅であろうという感じもある。
- 理由2:また、心。(自分の思う)心の静けさみたいなものからは全くまだ遠い状態で、次から次へと雑念のようなものが沸いてきて、途中「雑念に支配されてしまう」ということが何度もあった。
- 感想:これが何時間も理想の形で続くならば、心身ともにさらに強くなれる(健康になれる)ような気がしており、やっぱり続けてみようと思う。恐らく上の2つ(足がきつい、雑念がわく)あたりの、「坐禅が続けられない」という事態こそが、卑近なことばで言えば「自分の歪み」を表しているような心持ち。
坐禅を少し続けてみます
自分としては、最初の一回ぐらいはしっかりとした指導を受けるのが良いとは思う。まあ大抵の人がまずは足がきつい、という反応となると思う。それが普通であると割り切れば別に恥ずかしいことも、事前準備もいらないのではないか。
今後、すこし坐禅を中心に据えていければという気持ちもあり、今の感覚では少し不安もあるが、まずは月末にお寺に訪問してみようと思う。
今後も気が向いたら坐禅メモを書いていくので、同じように気が向いたら見てみてほしい。