のあろぐ

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宮崎駿はやっぱり「語り手」なんだよね - 映画「風立ちぬ」感想


 遅ればせながら風立ちぬを観たのです。

 
 堀越二郎を題材とした作品ということで、観る前まではノンフィクションと思っていましたが、見事なまでにちゃんとフィクションしていて、逆になるほどと感心させられました。
 
 宮崎駿といえば千と千尋の神隠しもののけ姫などに代表されるような典型的な物語の構成によってメッセージを伝えるタイプのクリエイター。今回は堀越二郎を題材とした作品という薄いヴェールを被って、これまでの作品よりもさらに人々にわかりやすい形でメッセージを伝えるという手法だったのではないかと。
 
 今回のキャッチコピー「生きねば。」は、本作の至るところで気持ち悪いほど登場するし、それに付随してモチーフであるところの風は必ず吹いているわ、登場人物自ら「風が吹いている、生きなければならない」という言葉で繰り返し風と生命を意識させているわ。
 冒頭では本作品「全体」が堀越二郎の「夢から醒めぬ夢」であることが意識される。というか、最初のシーンで「夢だと思います」って言ってる。堀越二郎のメガネや彼のヒーローとして夢の中に登場するカプローニさん、それを追いつづける主人公、どれをとっても物語としてのにおいを帯びている。のに、題材が実在する人物であるだけにより自分との距離を近く感じるという構成。美しい、夢、生きねば、などの繰り返し直接的に語られる主題。宮崎駿は物語にメッセージを「置いておく」のではなく、物語を通してこれまでにないほどメッセージを「訴えかけて」きたのだ。料理でいうと味覚が弱い人に向けてものすごく味が濃いものが出された感じ。ここまで直截なメッセージが発せられ作り手の意図が明確になってしまうと、逆に無意識に気持ち悪さを感じてしまう人が出ても無理はないのではなかろうか。
 
 自分は「あぁこれって物語だけど、従来のアプローチからの変更はあって、自分の言いたいことがわかってない人向けに宮崎駿が最大限譲歩した結果の一つの回答なんだろうな」というふうに思ったが、勿論色々な解釈が並列して存在すればいい。それは送り手というより受け手の問題であろう。
 
 色々な機会、例えば必死で努力していた人間がオリンピックなどで嬉し涙を流しているのをみると、人は感動する。打ち込んでいる人に特有の生命のエネルギーみたいなものをなんとなく感じて、生きるって素晴らしいのかもしれないな、となんとなく思う。劇中の堀越二郎にはそんなイメージを抱く。
 
 ただし、生きるって素晴らしい!というだけのことを描くのではなく、「でもやっぱ、辛いこともあんだよねぇ」的なこともしっかり警告する。主人公の分身ともいえる妻には常に死のにおいがする。というか本作ではより直接的に死に至る病を抱えている。愛する人が倒れ、電車の中で泣きながら製図をするシーンでは、「それでも「生きねば」なのかよ!」と叫びたくなるような衝動に駆られる。この辺もラストに宮崎駿なりのメッセージがあったりして、もう気持ち悪いほど至れり尽くせり。隠喩であることをやめたんだな。
 
 というわけでこの映画、自分としては表現手法的に「宮崎駿の!サルでもわかる生きるって素晴らしいTHE MOVIE」という感じだったし、実際明日からちゃんと生きていこうなんて反省もしたりして、自分なりには久々によい機会をもらっちゃったな、という感じでした。了。
 
参考