のあろぐ

「もぐらゲームス」・「Mogura VR」を立ち上げて運営している、のあPことNoahの個人ブログ。

ゲーミフィケーションとゲームの線引きは難しい


2013年12月8日はゲームのちからで世界を変えよう会議(PowerofGames)の二周年となります。
それを記念して(?)ゲーミフィケーションやゲームを用いた取り組みについてまとめようかなと考えております。
本記事は、ゲームのちからで世界を変えよう会議の方で書こうと思っていますが、こちらでプレディスカッション的に話題提供してみようと思います。

ゲーミフィケーションの定義とは?

さて、最初に問題となるのがゲーミフィケーションの定義ということになります。

この問題に関しては井上明人氏、深田浩嗣氏、その他様々なかたが言及されていますが、その定義は一様ではありません。
当然、この種の言葉の議論というのは、巷で使われている一般的な用法があれば、それに従ってある程度大多数が納得できる定義をすることができます。

しかし、この2年間活動してきたなかでいうと、その意味については無視できない程度までそれぞれ乖離があります。特に、この問題が顕著に障害になるのは、実際に社会に役立つ「ゲーミフィケーション」を考えるための会議の場です。

かたや、Webにポイントやバッジなどの楽しい仕組みを入れることがゲーミフィケーションであると思っている一方、アクションゲームやパズルゲームなどをユーザーが楽しんだ結果、そのデータが蓄積されていって、裏で何かの役に立っている「ゲームそのもの」ゲーミフィケーションと読んでいる、などの乖離があります。こうした乖離は、会議の目的に対する不一致を生み出し、結局のところアウトプットの妨げになっているという問題であります。


フィンランド国立図書館が作った「ゲーム」はゲーミフィケーションか?
例えば、以下の事例を見てください。

100年前の新聞をみんなでデジタル復刻!フィンランド国立図書館のオンラインゲーム「Digitalkoot」 | greenz.jp グリーンズ
これはフィンランド国立図書館が作った「ゲーム」です。


このゲームでは、ユーザーはタイピングゲームを行い、もぐらのような、レミングスのようなキャラクターを左から右へと橋渡ししてあげることが目的になっています。


しかしこのゲームはもうひとつの目的を持ちます。それが、「図書館の蔵書のスキャンミスを特定する」ということです。
ユーザーがタイピングをするのは、ゲーム上部に出てくる画像になっているのですが、これはフィンランドの図書館でスキャンされた実際の文字です。正しくスキャンされていさえすれば、プレイヤーはそれをただ単にタイピングしていくだけで済みますが、もし文字として読み取れないものが出てきた場合、「パス」というボタンを押すことになります。以下のように。

すなわち、Impossible=パスされた画像データがデータベースに蓄積されていき、スキャンミス等を大変な人的リソースによって調べて発見していくというプロセスを、ゲームユーザーに委託することができているわけです。
これはおそらく、ゲーミフィケーションでもありますが、見方を変えると「シリアスゲーム」と呼んでいる場合もあるかもしれませんし、何より、「Webをちょっとゲームっぽくしたもの」とは大幅に意味合いの違うものなわけです。
ですから、ゲーミフィケーションしようぜ、と言われた時には、どの程度・規模のものを考えているのか、形態はどういうものなのか、ということをしっかり摺り合わせていく必要が発生するわけです。

 

ゲーミフィケーションの定義がはらむ問題

さて、定義問題に戻りましょう。最も簡単に言うならば、「ものごとをゲーム化すること」ということになるのですが、これにはまたも難しい二点の問題をはらんでいると言えそうです。

①ゲームとは何か?が結局わからない。
シリアスゲームなどを含むか、区別して表現するかが問題である。

この辺の話題、特に①などはかなり哲学的な問題をはらんできてしまいます。主観的な視点、すなわち「ユーザーがこれはゲームだと思ったものがゲームである」というようなトートロジーになってしまうようなケースもありますし、数年やそこらでゲームとはなにかという根本的な問いが解決できるとは思えません。したがって、実務的には正直なところ①の視点はある程度無視するケースが殆どです。

②は上記の図書館のゲーミフィケーションで少し触れましたが、ゲームそのものが教育や医療に役立つようなものである場合には、ゲーミフィケーションという言葉が日本で流行る前から、シリアスゲームという風に呼ばれてきました。
シリアスゲームの事例には、九州大学などで研究されている「リハビリウム」というゲームなどがあります。

リハビリウム起立くん

 このゲームは介護施設など向けのゲームで、プレイヤーは起立運動と呼ばれる立ったり座ったりを繰り返すリハビリ運動をする際に、樹木を育て、木の実などをもらうゲームを行うことになり、ゲームに熱中してもらえれば単調な起立運動に彩りが与えられるというものであります。

このようなシリアスゲームの取り組みは昔からあるものですが、こうしたものも一緒くたにゲーミフィケーションという風に呼んでしまうことが、更に定義問題を混迷化?させてしまうかもしれません。
しかし、いちいちシリアスゲームとは・・・ゲーミフィケーションとは・・・等と言っていると、ただの面倒くさい奴と思われるリスクを孕んでいますので、議論の最初に「定義の話はとりあえず置いといて・・・」などとやることも多いのが実際です。ただし、それは「こうした問題は孕む」と認識している同士ではある程度有効ですが、そもそも問題を認識してない場合にはやはり、一度確認しておくのが、トラブルを防ぐためには良いのかなと思っています。

ちなみに、この問題を含めてゲーミフィケーションにまつわるよくある話は、井上明人氏が以下のページにまとめておられますので、一読をオススメいたします。

ゲーミフィケーション FAQ