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のあろぐ

「もぐらゲームス」・「Mogura VR」を立ち上げて運営している、のあPことNoahの個人ブログ。

「褒められる」ということ、「貶される」ということ


誰しも褒められた経験もあれば、貶された経験もあるだろう。しかしその効果について見てみると、人はあまり褒められるべきではないのではないかと思える。

短期的な効果

褒められると短期的にはうれしい、得意になる、自信がつく、などのプラスの感情が芽生える。
貶されると、短期的には悲しい、やりきれない、怒り、などマイナスの感情が芽生える。
人の受け取り方にもよるのだが、褒められたことをポジティブに受け止めて「明日も頑張ろう」となるし、貶されればネガティブになって「鬱だ」「もうだめだ~」という感じになってしまうだろう。
ここの短期的視点でいうと、人はやっぱり基本的には褒められたいと思うし、貶されたくないと思う。

中・長期的に見て

ところが、中・長期的な視点でみてみると、褒められるには一定の貶されるというステップを踏む必要があるのだと思う。
「褒めて伸ばす」というが、あれは既知の領域のことをインプットする時の話だ。未知の領域にトライして、方法論の確立していない領域で試行錯誤しているときには、一定の割合で欠点を指摘される→それを改善するというプロセスを通じてはじめて、まともなアウトプットがでるようになる。
そう考えてみると、褒められるためには貶される必要がある、という言葉だけみると矛盾した状況が生じうる。

結局のところ・・・

結局、一番いいのは100のコメントがあったら80ぐらいに褒めてもらいつつ、20ぐらいの人にマイルドに欠点を指摘してもらうというのが、「ポジティブにがんばる」事のできるいい位置なんじゃないだろうか。
心が強い人とかマゾの人とか、いわゆるグローバルマッチョみたいな人って、全体のなかで貶される割合がかなり高くても大丈夫な人が多い。
そのなかで、貶されたことに対して合理的なことだったら受け入れて自分のなかで咀嚼し、成長していくようなステップを取れる人はすばらしい。
願わくばそういう人間になりたいんだけど、ぼくは心がよわいので、100のうち5ぐらい批判がきただけでも2~3日は落ち込むんだよな。とはいえその後は立ち直って次の改善に繋げられるので、自分で自分をほめてあげたい。なんだこの文章・・・