のあろぐ

「もぐらゲームス」・「Mogura VR」を立ち上げて運営している、のあPことNoahの個人ブログ。

普通の日記 2/3

 昨日は長い休み明け。久々に仕事だ。休み中にリラックスしたせいか、仕事中(というかPC作業中)は相当身体が緊張している、という事実に気づく。
休み前はあくびや眠気、寝ても取れない疲れに悩まされていたのだが、問題の半分ぐらいはこの身体の緊張をほぐせば解決するのではないだろうか。
 と、ここまで考えて、昔伊藤家の食卓か何かで、スポーツがちょっとだけうまくなる裏ワザというのをやっていたのを思い出す。とにかく手足をグニャグニャブラブラと、まるで軟体動物か駄々っ子のように動かしまくるという体操で、うすた京介作品に出てくる適当な絵みたいな動きをブラブラグニャグニャしばらく続ける。こうすると、全身の筋肉から緊張が取れて身体がいい感じに動かせるのだ。
 ……というのがあったはずなのだが、検索しても全く出てこない。同僚からは「それマエケン体操じゃないの?」と言われたのだが、検索してみるとこれもまた、なにか違う。どれもこれも、何かちょっと違うのだ。頑張って寝る前にスマホで探していたら結局寝たのが1時半。寝る前までスマホやってたもんだから、身体も緊張したまま寝ていて、今日も眠い。誰か覚えている方、教えてください。

TRPG未プレイのぼくが観てきたTRPG動画

TRPGの動画をかなり頻繁に見る方だ。多分メジャーな動画は殆ど見ている・・・と言っても、まあ過言ではないかもしれない。
TRPG未プレイ者なので、楽しみ方は普通のTRPGプレイヤーと違うのかもしれない。どういうところが好きかと面と向かって問われるとかなり困ってしまうのだが、例えばストーリーの出来であったり、プレイヤーやGMの機転によって偶然(あるいは意図的に。ここでいう偶然はランダムという意味ではない)ストーリーが形作られていくところがTRPGリプレイ動画の面白いところだ。

そんなわけで面白いTRPG動画を探し求めてやまないわけだが、ちょっとだけぼくの観てきたTRPG動画の中で印象にのこっているものを紹介したいと思う。皆さんの中で、これも面白いよーというものがあれば教えて欲しい。

 

ふたりでクトゥルフ

アイマス音無小鳥さんと、ゆっくり諏訪子(東方)が登場するクトゥルフTRPG動画だ。TRPG未経験、かつルールブックすら持っていない初心者の諏訪子に、小鳥さんがゆっくり教えこんでいくというコンセプト。

こちらはぼくがはじめて観たTRPG動画であり、最初にこの動画に出会ったのは幸運といえるかもしれない。これを見ることで、TRPGの概要がなんとなく分かったし、何しろGMやプレイヤーの心理的な動きも描写されているため、非常に引き込まれる。

 

オプーナと偏執病のゆっくり達 

パラノイアの名前は聞いたことがなくても、「完璧で幸福な市民」などのワードには聞き覚えがあったりなかったりするのではなかろうか。初音ミクの「こちら、幸福安心委員会です。」の元ネタとなっているパラノイアについてはその世界観とよく出来たルールに嘆息させられる。さらにこちらは独特の世界観を表現する絵だとか、プレイヤーの心理・情景描写なんかが映える。同様のパラノイアものの中でも一番好きな作品。

 

風変わりな旅行 

この方々が上げているTRPG動画はなんというか、TRPG相当やりこまれているんだなあという感じがしていて、とても真似できない感がある。様々なシリーズがある中ではこの「風変わりな旅行」が神リプレイ感があって好き。饅 鎮念(45)さんカッコイイ。

 

ゆっくり妖夢と本当はこわいクトゥルフ神話 


水瀬妖夢とゆっくりキャラクターたちが織り成すクトゥルフストーリー。
話が二転三転するので、面白いわけですが、これはTRPGリプレイというよりTRPGを題材にしたストーリーであるという見方のほうが楽しめるんでないかなと思います。
コミカライズ化もされていて、ニコニコの元動画は消されております。
そのへんのことは以下なんかにお話が上がったりしていますが、ぼくは詳しくありません。

水瀬陽夢と本当は怖いクトゥルフ神話に対する反応まとめ - Togetterまとめ

 

うーん、こうしてみるとやっぱりクトゥルフ多いですね。意図して多くしているわけではないのですが、全体から見てクトゥルフの割合が今のところ大きいしね。奇妙な共闘シナリオのものでも面白いTRPG動画は多数ありますがこれもクトゥルフ。キルデスビジネスとかも興味あるんですがねぇ。面白いリプレイ求む。

 

ぼくはTRPG実際にやったことがないし、実際やった経験ある方からみるとぼくの楽しみ方なんかは全然違うぜって感じじゃないかと思うので、TRPGやりたいなあ、ああやりたい、ほんとTRPGやりたい、でも飛び込む勇気もないし友だちもいないけどやりたいなあTRPGやりたい的なことをしつこく言っていたら本当に奇特に声をかけていただいて、こんどTRPG童貞を脱することができそうです。ドキドキですね。

マルチジャンル・ホラーRPG インセイン (Role&Roll Books)を読んだ

 

新年初読了。なるべく読んだ本はブログに残しておきたいですね。
インセインはTRPGのリプレイを含むシナリオブック(でいいのか?)で、ルールだとかそういうのも載ってます。
わたくしTRPG初心者でも十分楽しめる内容でした。
ともだちがいないからTRPGやったことないんだけどね
プレイヤーは物語を進めていくごとに狂気カードを受け取り、トリガー(誰かがダイスで失敗するとか)を受けて狂気が発動したりしてSAN値みたいなものが減っていく、みたいなシステム。狂気カードが発動してSAN値的なものが減るとさらにそれが他の狂気カードのトリガーになっていたり・・・と、多人数でプレイすると狂気が連鎖するのが一つ面白い点かなと思いました。

ぼくは単純にリプレイ目当てで購入したのですが、結構楽しめました。

今年の目標など

今週のお題「私の年末年始」ということで。

明けましておめでとうございます、今年もよろしくお願いいたします。

 

2013年は気持ちの切り替えとかがうまく出来ず割と悶々と過ごした一年間でありました。

今年は知力気力体力時の運、安定感を持って過ごしたいと思います。

2014年のテーマは、物語。

誰もが自分の物語を持っています。

この物語をしっかりと自分以外の誰かに語れるということが、人の気持ちを動かすんじゃないかと思います。

ただし、「語り方」や見栄えだけではなく、本当に内容の伴った物語であることも重要です。

来年一年が、自分にとって、また他の誰かにとっての物語の転機になる年になるよう心していきたいです。

 

個別の課題は以下の通り。

 

1.健康

結局のところ健康であることがすべての原点なので、これは引き続き注意していきたいです。

特に血管系・内臓系の病気はそろそろ注意していきたいなあと。

 

2.取捨選択

ものや、要らない行為を捨てる。

自分はものやToDoを持ちすぎてしまうから、あえて2014年は、捨てることを意識した一年としたいと思います。

 

3.利他思考

他人になにが出来るか、他人のニーズは何なのか常に考え行動します。

ただし、便利屋にはならないように、自分のしなければいけないことは常にクリアーに。

 

ということで、2014年もどうぞよろしくお願いいたします。

ゲーミフィケーションとゲームの線引きは難しい

2013年12月8日はゲームのちからで世界を変えよう会議(PowerofGames)の二周年となります。
それを記念して(?)ゲーミフィケーションやゲームを用いた取り組みについてまとめようかなと考えております。
本記事は、ゲームのちからで世界を変えよう会議の方で書こうと思っていますが、こちらでプレディスカッション的に話題提供してみようと思います。

ゲーミフィケーションの定義とは?

さて、最初に問題となるのがゲーミフィケーションの定義ということになります。

この問題に関しては井上明人氏、深田浩嗣氏、その他様々なかたが言及されていますが、その定義は一様ではありません。
当然、この種の言葉の議論というのは、巷で使われている一般的な用法があれば、それに従ってある程度大多数が納得できる定義をすることができます。

しかし、この2年間活動してきたなかでいうと、その意味については無視できない程度までそれぞれ乖離があります。特に、この問題が顕著に障害になるのは、実際に社会に役立つ「ゲーミフィケーション」を考えるための会議の場です。

かたや、Webにポイントやバッジなどの楽しい仕組みを入れることがゲーミフィケーションであると思っている一方、アクションゲームやパズルゲームなどをユーザーが楽しんだ結果、そのデータが蓄積されていって、裏で何かの役に立っている「ゲームそのもの」ゲーミフィケーションと読んでいる、などの乖離があります。こうした乖離は、会議の目的に対する不一致を生み出し、結局のところアウトプットの妨げになっているという問題であります。


フィンランド国立図書館が作った「ゲーム」はゲーミフィケーションか?
例えば、以下の事例を見てください。

100年前の新聞をみんなでデジタル復刻!フィンランド国立図書館のオンラインゲーム「Digitalkoot」 | greenz.jp グリーンズ
これはフィンランド国立図書館が作った「ゲーム」です。


このゲームでは、ユーザーはタイピングゲームを行い、もぐらのような、レミングスのようなキャラクターを左から右へと橋渡ししてあげることが目的になっています。


しかしこのゲームはもうひとつの目的を持ちます。それが、「図書館の蔵書のスキャンミスを特定する」ということです。
ユーザーがタイピングをするのは、ゲーム上部に出てくる画像になっているのですが、これはフィンランドの図書館でスキャンされた実際の文字です。正しくスキャンされていさえすれば、プレイヤーはそれをただ単にタイピングしていくだけで済みますが、もし文字として読み取れないものが出てきた場合、「パス」というボタンを押すことになります。以下のように。

すなわち、Impossible=パスされた画像データがデータベースに蓄積されていき、スキャンミス等を大変な人的リソースによって調べて発見していくというプロセスを、ゲームユーザーに委託することができているわけです。
これはおそらく、ゲーミフィケーションでもありますが、見方を変えると「シリアスゲーム」と呼んでいる場合もあるかもしれませんし、何より、「Webをちょっとゲームっぽくしたもの」とは大幅に意味合いの違うものなわけです。
ですから、ゲーミフィケーションしようぜ、と言われた時には、どの程度・規模のものを考えているのか、形態はどういうものなのか、ということをしっかり摺り合わせていく必要が発生するわけです。

 

ゲーミフィケーションの定義がはらむ問題

さて、定義問題に戻りましょう。最も簡単に言うならば、「ものごとをゲーム化すること」ということになるのですが、これにはまたも難しい二点の問題をはらんでいると言えそうです。

①ゲームとは何か?が結局わからない。
シリアスゲームなどを含むか、区別して表現するかが問題である。

この辺の話題、特に①などはかなり哲学的な問題をはらんできてしまいます。主観的な視点、すなわち「ユーザーがこれはゲームだと思ったものがゲームである」というようなトートロジーになってしまうようなケースもありますし、数年やそこらでゲームとはなにかという根本的な問いが解決できるとは思えません。したがって、実務的には正直なところ①の視点はある程度無視するケースが殆どです。

②は上記の図書館のゲーミフィケーションで少し触れましたが、ゲームそのものが教育や医療に役立つようなものである場合には、ゲーミフィケーションという言葉が日本で流行る前から、シリアスゲームという風に呼ばれてきました。
シリアスゲームの事例には、九州大学などで研究されている「リハビリウム」というゲームなどがあります。

リハビリウム起立くん

 このゲームは介護施設など向けのゲームで、プレイヤーは起立運動と呼ばれる立ったり座ったりを繰り返すリハビリ運動をする際に、樹木を育て、木の実などをもらうゲームを行うことになり、ゲームに熱中してもらえれば単調な起立運動に彩りが与えられるというものであります。

このようなシリアスゲームの取り組みは昔からあるものですが、こうしたものも一緒くたにゲーミフィケーションという風に呼んでしまうことが、更に定義問題を混迷化?させてしまうかもしれません。
しかし、いちいちシリアスゲームとは・・・ゲーミフィケーションとは・・・等と言っていると、ただの面倒くさい奴と思われるリスクを孕んでいますので、議論の最初に「定義の話はとりあえず置いといて・・・」などとやることも多いのが実際です。ただし、それは「こうした問題は孕む」と認識している同士ではある程度有効ですが、そもそも問題を認識してない場合にはやはり、一度確認しておくのが、トラブルを防ぐためには良いのかなと思っています。

ちなみに、この問題を含めてゲーミフィケーションにまつわるよくある話は、井上明人氏が以下のページにまとめておられますので、一読をオススメいたします。

ゲーミフィケーション FAQ