のあろぐ

「もぐらゲームス」・「Mogura VR」を立ち上げて運営している、のあPことNoahの個人ブログ。

人間関係をどうやって構築するかは世の中の課題だなあというぼやき


人間関係をどう構築していくかということはなかなか人生においてチャレンジングな課題だと思う。

 

極端な話、人間同士でコミュニケーションするとき、生い立ちからこれまでの経験から、あらゆることを100%共有して追体験できれば、どんなことでも必ずお互い同士理解可能だと自分は思っている。

 

ただ現実的には、自分がここに至るまでの背景を「すべて」話すことには数十年の時間を要するし、自分でも忘れているが影響を及ぼしていること、みたいなのもあるのだから、当然のことながら不可能。

 

だからこそ人は分かり合えないことがあったり、疑心暗鬼になったり、逆に人を信頼しすぎて騙されたり、という問題が起こりうる。

 

じゃあ、100%の追体験が不可能な中、限られた情報だけでどうやって相手と信頼関係を築いたり、共感したり愛したり愛されたりするのか?という課題。これが人間関係を構築していくための「スキル」になるのだと思う。

 

純然なビジネスだと、関係を構築するのは比較すれば易しい。なぜか。自分は、ここには「経済合理性」という一定のルールがあるから、だと思っている(もちろんビジネスでも、特に最近は、もっとウェットな関係の中で育まれるものもあるし、それはそれで素敵だと思うのだけど、相対的にはやっぱりビジネスである以上、経済合理性に帰着する)。

 

関係を構築するのを易しくするためには、人間関係の中でもなんらかのルールを定めていくのがよい。これが、道徳とか価値観と呼ばれるものになっているはずだ、と思う。ただ、これは暗黙的なもので、文化によって全然ちがったりする上に、ビジネスよりもっとセンシティブかつ、喫緊の課題ではない「ように見える」からなのか、共有のスピードがビジネスよりもずっと遅い。

 

こういう「非ビジネス分野での人間の相互理解の問題」みたいなのが、自分の人生的なテーマの一つとしてある、のかなあ、と思っている。ビジネスに興味がないわけではないのだけど、ルールが曖昧な非ビジネス(友人、家族、恋人とか)の分野こそが、人々がいま一番課題に感じていることなんじゃないのか、と思っている。もちろん、ビジネスと非ビジネスはお互い関連しあっているのだろうし、非ビジネスでも相手の感情の損得はあるのだからそんなの簡単だよ、むしろビジネスのほうがずっと難しい、という人もいるだろうから、そういう考え方も極めて真っ当だと思う。

 

自分はこの「人間関係の課題」に対する処方箋の一つとして、「みんなでやるゲーム(とか、みんなで鑑賞する映画などのコンテンツ)」というのが一定の成果を生んでくれると思っているのだよなあ。やっぱり、アニメや映画のコンテンツを一本見て、一緒に心動かされてみたりとか、損得抜きである一定のルール下でゲームを楽しんだりするということは、相互理解のためになるよ。という話。

 

一度はゲーミフィケーションの啓蒙活動とかで、ビジネスと非ビジネスをゲームでつないでいったらそういった問題に対しても面白いんじゃないかと思ってやってみたのだけど、これはやり方がまだ今の自分には力量不足だった。思いの外、ビジネスサイドにゲームへの理解が足りなくて、なかなかハードルが高かった。ファミコンのマリオとテトリスが例え話の限界になってしまうと、なかなかそこから25年後のゲームの最新の知恵をビジネスに活かすという話への共感は得にくかった。だから、ビジネスマンはもっとゲームをしようという話をしたのだけど、ほとんど受け入れられなかったなあ。

 

とかFacebookで書いたんだけど、どん引かれた。