『盤上の夜』を読んだ
宮内悠介さんの短編集『盤上の夜』を読み進める。本当に、こういう書き方ができるのはすごい。人は本当にすごいと凡庸な感想しか出てこない。『象を飛ばした王子』は泣きそうになりながら読んだ。これはミュージカルにしたら映えるんじゃないか。
— NoahP(のあP)☃ (@powerofgamesorg) May 16, 2014
例えば表題作「盤上の夜」では、マスクされた情報が段階的に読者の前に提示されるような構造になっている。その様子はさながら銀剥がしの銀をめくっていくような、期待感がある。
ただ、そういったエンターテイメント性のある書き方をしているからこの作品が至高となっているのではなく、むしろ本作の凄みはこれが正統派であることにあるんじゃないのか、的な感じは、一周まわって、受けている。小説としてここまで洗練された文章を書けることに、文字の可能性を改めて感じる一作。
跡地
ここには「KADOKAWA・ドワンゴ経営統合を受けた感想と、今後の展開を妄想してみた」という記事があったのですが、あまりに普通の感想だったので、載せる意味もないかと思い消しました。
対等の精神に基づいたKADOKAWA・ドワンゴ統合の社員説明会に行って来た | BLOG HOMME
社員がよろこんでいるので、なにより。
残しておくのは以下の言葉だけです。
クリエイターさんの努力がちゃんと認めてもらえて、クリエイターさん本人がお金たくさんもらえて、クリエイターさんの努力が実になって食っていけるような社会ができればいいなあ、と心から思うのでありました。
要するに合併してもっと儲かるんだったらクリエイターさんから搾取するんじゃなくてちゃんと正当な対価払おうねってことです。
おわり。
【追記】
↓もぐらゲームスというサイトに寄稿しています。
こちらは、まあドワンゴが目指しているかもしれない新しいレビューサイトのかたちをすでにつくりつつある…というといいすぎなのですが、がんばっています。濃密なレビューとか、クリエイターさんにスポットライトをあてたインタビューを書いていきたいと思うので、よろしくお願いいたします。
「褒められる」ということ、「貶される」ということ
誰しも褒められた経験もあれば、貶された経験もあるだろう。しかしその効果について見てみると、人はあまり褒められるべきではないのではないかと思える。
短期的な効果
褒められると短期的にはうれしい、得意になる、自信がつく、などのプラスの感情が芽生える。
貶されると、短期的には悲しい、やりきれない、怒り、などマイナスの感情が芽生える。
人の受け取り方にもよるのだが、褒められたことをポジティブに受け止めて「明日も頑張ろう」となるし、貶されればネガティブになって「鬱だ」「もうだめだ~」という感じになってしまうだろう。
ここの短期的視点でいうと、人はやっぱり基本的には褒められたいと思うし、貶されたくないと思う。
中・長期的に見て
ところが、中・長期的な視点でみてみると、褒められるには一定の貶されるというステップを踏む必要があるのだと思う。
「褒めて伸ばす」というが、あれは既知の領域のことをインプットする時の話だ。未知の領域にトライして、方法論の確立していない領域で試行錯誤しているときには、一定の割合で欠点を指摘される→それを改善するというプロセスを通じてはじめて、まともなアウトプットがでるようになる。
そう考えてみると、褒められるためには貶される必要がある、という言葉だけみると矛盾した状況が生じうる。
結局のところ・・・
結局、一番いいのは100のコメントがあったら80ぐらいに褒めてもらいつつ、20ぐらいの人にマイルドに欠点を指摘してもらうというのが、「ポジティブにがんばる」事のできるいい位置なんじゃないだろうか。
心が強い人とかマゾの人とか、いわゆるグローバルマッチョみたいな人って、全体のなかで貶される割合がかなり高くても大丈夫な人が多い。
そのなかで、貶されたことに対して合理的なことだったら受け入れて自分のなかで咀嚼し、成長していくようなステップを取れる人はすばらしい。
願わくばそういう人間になりたいんだけど、ぼくは心がよわいので、100のうち5ぐらい批判がきただけでも2~3日は落ち込むんだよな。とはいえその後は立ち直って次の改善に繋げられるので、自分で自分をほめてあげたい。なんだこの文章・・・
「もぐらゲームス」に「BREAKS LP」のレビュー寄稿しました
先日立ち上がったインディゲームフリーゲームなどを紹介していくサイト、「もぐらゲームス」さんに下記文章を寄稿させていただきました!
「BREAKS LP」レビュー ―音楽ゲームとリミックス作成ツールのあいだで - もぐらゲームス
って、編集もまあ自分でやっているんですけども。
選手兼監督みたいなところがある。代打オレ。
個人的に自分で書いたものや記事はこのBlogに記録としてあげていこうかな、なんていう風に思っていますので、またぼくの書いた記事がどこかで出たらこちらでお知らせさせてもらいますね。
もぐらゲームス、今後は様々な方に色々な視点の記事を書いてもらう予定(曖昧すぎる)ですので、ちょこちょこチェックしていくと面白いかもしれません。
ちなみにもぐらゲームスがはてなBlogをつかっているのは、一種の「こだわり」です。
もぐらゲームスに飛んでいただいたあと、左上のバーのブログタイトルをクリックして、「読者になる」をおしていただくとか、個別記事のはてブをしていただいたりすると、大変スタッフ一同喜ぶんじゃないでしょうか。いや、喜びます。
そんじゃーね。
プログラミングを例える本 - 「教養としてのプログラミング講座」
早速読みました。てか、Amazon品切れになってる!
この本を一言で言うならば、「プログラミングを例える本」だ。
だいたいのものは、「たとえ話」を使うとかなり浸透しやすくなると思っていて、特に新しい概念に見えて、実は馴染み深い概念を説明する時にはこういったたとえ話がとても有効に作用する。
本書でも、プログラミングの考え方自体を「杏花ちゃんへのお使いを頼むとき」「答案用紙を選り分けるとき」「思い出横丁のやきとんの名店、『ささもと』が計算をラクにするとき」「長篠の戦い」などの事例を用いながら説明していく。
これを読んでいると、いかにプログラミングが実は生活に浸透しているものかということがなんとなく理解できるかもしれない。
本書では「目覚まし時計」が一番端的にわかりやすいプログラミングの例として出てくる。
- 朝6時になったら音を鳴らせ(時刻の設定)
- 音量は中くらいにして、水滴の音にする(音の設定)
- 最初は小さく、だんだん音を大きくする(スヌーズの設定)
- ボタンを押されたら音を鳴らすのをやめる(停止条件の設定)
こうした手順を通じて、徐々に目覚まし時計というものの機能が形をなしていく。日本語予測変換システム(「か」って入力するだけで候補を表示してくれるやつ)の開発に携わった慶應大の増井俊之教授も目覚まし時計をプログラミングの好例として取り上げているらしい。
著者の清水亮氏はenchant.jsなどでも知られているが、ゲーム制作者としても有名であり、本書でも「鬼ごっこをプログラミングとして分解する」「占いはどうか」「さいころゲームはどうか」など、ゲーム性の高いものについてルールを分解する試みをおこなっていて、これもまたなるほど、言われてみるとそうだなーと思いながら読んでいった。
という感じで、基礎的なプログラミング概念を比喩によって説明して、実生活にプログラミング思考って溢れているでしょ?ということを問いかけてくる本書は、なかなか電車の中とかでさらっと読むにはとても読みやすい本だと思う。惜しいのはKindleで出てないことか・・・早く出そう(提案)
※追記(4月12日)
Kindle版出てました。やったぜ。
(と言うか、本記事を中央新書ラクレさんに取り上げていただきまして、電子版の要望も早めに受け付けていただけました。ありがとうございます!)
ありがとうございます!電子版のご要望、しかと拝受!(納豆)@hentenna_p この本程、わかりやすくプログラミングの概念を教えてくれる本はない。 プログラミングを例える本 - 「教養としてのプログラミング講座」 - のあろぐ http://t.co/3GFET51afx …
— 中公新書ラクレ(中央公論新社) (@chuko_laclef) March 18, 2014
社会人にお勧めの4冊 / ついでに「教養としてのプログラミング講座」Kindle版がリリースされました - UEI shi3zの日記
余談だが、コラムに出てくるアラン・チューリングの話は面白い。チューリングは第二次大戦中のイギリスの若き天才数学者だった。当時イギリスはドイツの潜水艦である「Uボート」の攻撃に悩まされていた。ドイツは機械式暗号機「エニグマ」による暗号文を用いており、それを解かない限り潜水艦がどこに出現するのかがわからない。しかも、「エニグマ」の暗号は毎秒100通り調べたとして30億年かかるほどの複雑度であり、暗号の解読は不可能に思われた。
そこでチューリングは「人力に頼らず機械で自動的に解析する」ための「Bombe」というシステムを開発、暗号解読解析の糸口をつかむのであった。
ところがこのチューリング、戦後に投獄され、自ら死を選んでしまう。戦時下の業績は機密扱いになっており、活躍を知るものはごく少数であった。
2009年になって、有志による名誉回復運動がおき、時のブラウン首相は政府として公式な謝罪を行うことになる。今ではイギリスのあちこちの大学にその業績を称える胸像や施設があり、アメリカ計算機学会で授与されるコンピュータ界でも栄誉ある賞の名前は「チューリング賞」というそうだ。なかなか非業の人生であるが、コンピュータの礎をつくった人物として、後世で評価された人物である。